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2008年1月25日 (金)

厳島神社 大鳥居(初めての宮島 その5)

 厳島神社の回廊を出て向かったのは引き潮の干潟に立つ大鳥居

 すでに多くの人たちが集まっていますが、本当に予期していなかった光景にちょっとビックリ状態でした。
 夕暮れの中でそびえ立つ大鳥居の本当に真下まで行ける訳ですから、ちょっとした興奮状態です。

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 干潟に立つ大鳥居をバックに写真を取ることは当然のこと!
 下から見上げた姿や、普段は海の中にあって見えない大鳥居の足元など・・・・・、気がつけばシャッターを押している自分。(本当にちょっとした興奮状態です)

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 そして気がつきました!
 厳島神社側と海側で大鳥居の中央に掲げられた額に書かれている文字が違うことを!

 神社側は「伊都岐島神社」、海側は「厳嶋神社」と書かれているのです。
 神社側は万葉仮名で書かれているそうで、この額の文字はともに有栖川宮熾仁親王の染筆で書かれたものだそうです。
 (あとでいろいろと調べてみるとあちこちで書かれていたのですが、下調べをほとんどしていなかったので全く知りませんでした。 その他にも笠木の部分にトリビアの泉(?)があるそうです)

  080124_ootorii_gaku_01_2 「伊都岐島神社」(神社側) 080124_ootorii_gaku_02 「厳嶋神社」(海側)

 なお、大鳥居は奈良の大仏とほぼ同じ高さの16.8m、重量は約60t。 主柱は樹齢500~600年のクスノキの自然木で作られているとのことですが、なんとこの大鳥居は根元は海底に埋められているわけではなく、鳥居の重みだけで立っているとのことです。

 それにしても、この雄大な大鳥居は何度見ても、どこから見ても飽きません。
 この存在感、そして荘厳さ、何か引き付けられるものがあり、私の心をつかんだまま離しませんでした。

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  大鳥居の真ん前に立って見る大鳥居(左)と厳島神社境内(右)
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  夕暮れ(左)と夕暮れの中に立つ大鳥居(右)

 この興奮状態のまま、日も暮れてきたので宿へと向かうことにしました。

 (つづく)

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2008年1月19日 (土)

厳島神社 1日目(初めての宮島 その4)

千畳閣、五重塔をあとにして向かったのは厳島神社

 厳島神社は海を敷地とした大胆で独創的な配置構成のため、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られ、廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるようです。
 背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストがとても美しい!

 参拝入口から入ると、まずは廻廊とその伽藍を眺めながら大鳥居や社殿を奥に見ながら歩きます。
 訪れたときはちょうど引き潮のときで、海に浮かぶ厳島神社を想像していただけにちょっと拍子抜けでしたが、逆に訪れるタイミングでさまざまな姿を見せる、というところがちょっと神秘的(?)、という印象を持ちました。
 また、回廊から大鳥居を望むとその下にたくさんの人がいるのを見てビックリ! もちろん私たちも行ってみましたがその様子はまた改めて。
 (また1ヵ月後にならないように気をつけます!)

 廻廊は幅4m、長さは約275m。床板の間に目透しという隙間があって、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流す役目を果たしているそうです。

  080118_entrance 厳島神社の入口
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  080118_kairou_03 080118_kairou_05 (右)廻廊と五重塔 (左)廻廊から望む大鳥居

 そして本殿でお参り。
 このときにビックリしたのが、朱印をしていることでした。 今までは、お寺で行っているもの、という認識でしたが、これも神社と寺院が密接に結びついた神仏習合の所以でしょうか。

 国宝に指定されている本殿は、繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられており、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。 屋根に神社の定番とも言える千木と鰹木を持たず、桧皮葺の屋根に瓦を積んだ化粧棟のスタイルを取り入れた寝殿造りならではの様式が特徴。 現在の本殿は元亀2年(1571年)、毛利元就によって改築されたものだそうです。

 お参りを終えて、平舞台へ。
 ここから海、大鳥居、そして東には千畳閣、五重塔が、西には多宝塔や大聖院などが見渡せます。 この国宝の平舞台には、本殿前に同じく国宝の高舞台が設置されており、ここで能楽等が奉納されます。
 もちろんここから大鳥居をバックにして撮影するのが定番。 平舞台の先端がそのスポットとして順番待ちの状態でした。 かく言う私たちも勿論記念撮影 パシャッ!

 平舞台は寝殿造りの庭にあたる部分で、広さは167.6坪(約553平方メートル)。 安元2年(1176年)、平氏一門が社参して千僧供養が行われた際に、社殿の前方に仮廊を設けたという記録があり、こうした仮廊が常設となったものともいわれています。 前方には火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、管絃祭の出御・還御はここから行われるそうです。 また他の社殿の束柱は木造ですが、この平舞台を支えるのは、毛利元就によって寄進されたと伝えられる赤間石の柱。 火焼前分と合わせると239本あるそうです。
 高舞台は本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。 舞楽の舞台としては最小のもの。 現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったと考えられているそうです。

  080118_hirabutai_01 080118_hirabutai_02 平舞台から望む夕景の大鳥居
  080118_hirabutai_03 外人が貸衣装で高舞台前で本殿をバックにみんなの被写体に

 平舞台を出て出口に向かうと右手に能舞台、左手に反橋を見ることができます。
 能舞台はここで見る能楽や狂言はぜひとも一度は見たい、見たら忘れられないだろうなぁ・・・、と思いながら、能舞台を囲む周りが大きな舞台となって演じられるのだろうと想像してやみません。 海に浮かび、また夜ともなればライトアップされた能舞台を想像するにちょっと鳥肌が立ってしまいそうでした。

 国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。 現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つ。 厳島での演能は、永禄11年(1568年)の観世太夫の来演がその始まりとされ、慶長10年(1605年)には福島正則が常設の能舞台を寄進。 現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった延宝8年(1680年)のこと。 この能舞台は海上にあるため通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がなく、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴。 春の桃花祭神能がこの舞台で演じられるほか、茶道表千家と裏千家家元が隔年交互に執り行う献茶祭ではここでお茶が点てられ御神前に献じられるそうです。
 反橋はかつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれたそうです。 現在の橋は、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っているそうです。

  080118_noubutai_01 080118_noubutai_02
  能舞台(暗くて壁面の絵が見えませんが・・・)
  080118_soribasi 反橋

 そして出口へ。
 とても後ろ髪をひかれるような思いで、「ああ 出てしまった」というような感じでした。 (結局、また翌日にも訪れることになるのですが)
 それにしても記憶に新しい2004年9月の台風18号による被害から修復され、復活した厳島神社とその関係者の方々のご努力に感謝の意を表したいです。

 もちろん、このあとは引き潮によって現れた大鳥居へと干潟に向かいました。

 (つづく)

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2008年1月 4日 (金)

あけましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。

 昨年から始めたこのブログもまもなく 1年。
 昨年末は公私ともに忙しく、更新も途絶えがちになってしまい、約1ヶ月ほどご無沙汰になってしまいましたが、この記事を機にまた再開したいと思います。
 (あまり期間をあけすぎてしまうと、それこそ毎日が“日曜(島)”になってしまうので…)

 と言うところで、次回は止まっていた厳島神社の記事をアップしたいと思います。

<追伸>
 家の近くで咲く“宝塚チェリー”
 ちょうどこの時期に咲くので毎年ライトアップしてくれてます。
 昨日、仕事帰りに写真を撮ってみました。
  080104_takarazuka_cherry_01 080104_takarazuka_cherry_02
  “宝塚チェリー”は学名:ヒマラヤザクラ。
  大気汚染物質をソメイヨシノの5倍吸収・同化する能力を持っているそうです!

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