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2007年12月 8日 (土)

五重塔と千畳閣(初めての宮島 その3)

 「芝居茶寮 水羽」を出て厳島神社の入口に向かうと、右側の丘の上に2つの建物があります。

 ひとつは朱の色が鮮やかな五重塔
 そしてもうひとつは、千畳閣豊国神社)
 いずれも国の重要文化財に指定されています。

 まずは五重塔
 五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられており、現存する五重塔としては法隆寺の五重塔から数えて7番目にあたるそうです。内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれているそうです。そして中心柱が二層で止まっている独創的な構造をしています。

 この五重塔は私のお気に入りになりました。
 宮島のこの地に建てられ、どこからでも目に入ってくる存在感とその優美さは私を虜にしてしまったようです。
 今回の最も多い写真の被写体の1つとなったことは言うまでもありません。

  071207_5juunotou_01_2 071207_5juunotou_02_2 071207_5juunotou_03_2 071207_5juunotou_04_2
  071207_5juunotou_05 町家通りから望む五重塔

 そして、次にその横にある千畳閣(豊国神社)
 豊国神社は、天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として毎月一度千部経を読誦するため、政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。島内では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。江戸時代、既にここは交流の場・納涼の場として人々に親しまれていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳などが記されているそうです。明治の神仏分離令により仏像は大願寺に遷され、秀吉公を祀る豊国神社となり、現在に至っています。

 この千畳閣は、厳島神社の方から見上げると、まずその手前にある大きなイチョウの木が目に入ってきました。
 黄色に色づき、横の五重塔の朱ともマッチしてとてもインパクトがありました。
 そして千畳閣はその背後にどっしりと建っています。
 逆に千畳閣からは厳島神社が見下ろして見えるとともに、向かいの大聖院多宝塔、逆方向は宮島桟橋、そして対岸の宮島口側と見ることができます。

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  071207_senjoukaku_02 071207_senjoukaku_03_2 千畳閣の中の様子と天井
  071207_senjoukaku_04_3 071207_senjoukaku_05 「宮島の杓子」のいわれ(クリックすると大きくなります)

 また、これらが建っている搭之岡は、厳島合戦時には、陶軍の本陣が設けられた場所です。

 2つの建物をあとにして、厳島神社へと向かいました。

 (つづく)

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2007年12月 4日 (火)

星野JAPAN に乾杯!

 「初めての宮島」記はちょっとひと休みして・・・・・。

 やはり書かずにはいられません!

 すばらしい! 星野JAPAN!
 そして
 北京オリンピック 出場権獲得 おめでとう!

 本当に感動しました。
 すばらしい試合を、そしてハートを、そしてガッツを、想いを、ブラウン管を通してですが本当に感じることができました。

 中でもやはり昨日の韓国戦は凄かったです!
 あの緊迫感の中での選手たちのプレーや表情を見て、「勝てる!」と確信はしたものの韓国の威圧感みたいなものに押されてしまいそうになっていましたが、星野監督と選手たちを見て、手に汗握りながらテレビを見ていました。

 今回の特に2試合を見て、ちょっと新井選手に惚れこんでしまいました。
 あの熱いハートは本当に見ていてスカッとします。
 普段は物静かなだけに余計に際立って見えます。
 打線のことで新聞等で言われている中で、5番の阿部選手とともに、しっかりと4番の重責を果たしていたと思います。
 これで来年の阪神も応援のし甲斐がありそうです!

 また、上原選手のあの場面でストッパーとして淡々と投げ込むその度胸というか、すごさにちょっと感動! やっぱりすごいやん!、といったところで、本当に見直しました。
 それからあまり派手ではないですが、しっかりと仕事をこなす大村選手にも今回初めてですがちょっと気になりました。

 WBC以来、脚光をさらに浴びている川崎選手西岡選手もしっかりと自分の仕事をしていたし・・・。

 それから・・・・。
 忘れてはならないのが、宮本キャプテン稲葉選手
 頼りになる2人です。

 最後に星野監督
 2日間のインタビューがすべてを物語っていたと思います。
 選手たちを信頼しての采配、そしてこれに応える選手たち。
 この関係は本当にすばらしい!

 そして最後の胴上げのときに、テレビのゲスト解説の東尾氏も言っていましたが、誰一人として胴上げの輪の外に向かって立っている選手やスタッフはいませんでした。(よくカメラやスタンドに向かってバンザイしている選手がいますが)
 24人の選手たちがスタッフとともに一丸になって戦ってきた、その姿がそこにはあるんだと実感できました。

 最後にもう一度、

 ありがとう! 星野JAPAN!
 北京オリンピック 出場権獲得 おめでとう!
 来年8月もあなたたちの戦いを楽しみにしています!

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2007年12月 3日 (月)

「芝居茶寮 水羽」(初めての宮島 その2)

 フェリーを降りて船着場を出ても人の多さは変わりませんでした。
 とにかく2時半を回ってお腹もすいたので、昼食をとる店を探すことにしました。

 しばらく海沿いを歩いて、表参道商店街へ。
 ここでまた人の波の渦に巻き込まれる形になりました。両側の店にはお客さんが並び、厳島神社のほうから帰ってくる人たちでいっぱいです。私たちは逆行する形で進まなければならず、なかなか前に進むことができませんでした。
 目指す店がなかなか見つからないまま、商店街を抜けてしまい、先に宿に向かうことにしました。

  071202_shoutengai ← この写真はお客さんが引いた夕方5時ごろの状態

 一筋山側の通り、町家通りは先ほどまでの喧騒が嘘のように静かで落ち着いた感じで、今回の宿弁天の宿 いつくしまに到着しました。
 チェックインを済ませ、荷物を置いて、遅い昼食を取りに再び町中へ。
 宿の人に場所を確認し、再び町家通りを厳島神社方面に向かいました。

 そして目指す店、芝居茶寮 水羽」(HP)に到着です。
 店は厳島神社の裏に位置し、その昔、「水羽」の地には芝居小屋が点在していたそうです。「水羽」の建物はその流れを汲み、築150年の古民家を改装してレトロで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 一段落したようですが、1階はいっぱいだったため、2階の座敷に通されました。途中、それまでの戦場のような忙しさが伝わるような光景も目にしましたが、本当に何の飾り気もない、そして昔懐かしい家に帰ってきたようなそんな気持ちにさせてくれました。

  071202_mizuha_01 071202_mizuha_02 なんとなく懐かしい感じがします

 二人とも迷わずあなご丼を注文。創業以来37年間、独自のたれと瀬戸内の穴子を使用して作り続けているというその味を実感したくて来たのですから・・・・・。
 あなご丼が来るまではビールでのどをうるおし、そのときを待ちました。

 そしてようやくそのときが・・・!
 あなご丼の登場です!

  071202_anagodon_01 あなご丼 1,890円

 丼の器は暖められており、なかなか大振りの丼です。
 蓋を開けると、あなごとタレのにおいがふわっとあたりに広まります。
 丼の全面にあなごが置かれており、その下のご飯はほとんど見えません。
 そしてその味は、もちろん うまいっ!、の一言です。
 ふわっとしたあなごとタレは絶妙のバランスで、あなごを十分満喫することができます。
 あえて言うならば、ご飯がもう少し欲しかったのですが、夕食にオプションを追加したことを考えればちょうど良かったのかもしれません。

  071202_anagodon_02 071202_anagodon_03 シンプル イズ ベスト!

 あなご丼に満足して、宮島散策に出かけたのでした。

 (つづく)

■「芝居茶寮 水 羽」
   住   所 : 広島県廿日市市宮島町大町1-2
   電   話 : 0829-44-1570
   営業 時間 : 10:00 ~ 17:00
   定  休 日 : 不定休
   ホームページ : http://www.mizuhaso.com/

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